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2011/06/08

君が代

ワールドカップの時だったと思う。息子は言った。
「日本の国歌って、なんて暗いんだろう」
僕はすかさず言った。
「日本の国歌は素晴らしいと思う。なぜならサウジアラビアでもイランでもあの固有の音階を使うわけでもなく普通の西洋の軍隊マーチみたいな曲だし、韓国だって中国だって自国の伝統音楽を利用しているわけじゃない。日本の国歌ほど自国の伝統音楽(この場合は雅楽)を個性的に色濃く出している国歌はないよ。好きか嫌いかは個人の自由だけれど、僕はこのことは他の国に真似できなかった誇れる事だと思うよ。」
まとまりのない僕のリアルタイムの発言にしては、ずいぶん的確な意見を述べることが出来たと思う。

原歌が「古今和歌集」であるため、もともと「君が代」とは天皇自体を指すとは考えにくい。戦時中の天皇主権での象徴的な歌として歌詞が嫌われ、曲も暗いと嫌われ、もっと明るい歌か、国民的な「故郷」に換えたら、と、形無しの「君が代」であるが、僕はそうは思わない。
音楽そのものには何も罪はないと思う。僕の作った曲、たとえば「ハッピーソング」の様な曲がある殺人宗教団体の団歌になったりすると、多くの人はこの歌をとても嫌うだろう。作った人にとってはとても悲しい出来事である。誰かが熱狂的に好きな曲は、誰かが嫌いになる可能性が高い。
ヒトラーが崇拝していたワーグナーを聴いて身震いするユダヤ人もいるだろう。その環境に左右されて芸術の絶対性が揺るぐ事はおかしいと思う。まあ一般の人がそこまで感性が自由になるのは難しい事かも知れないが。
歌詞も「君」を「天皇」と押しつける感覚がなければ、日々の永遠の安泰を願った、こんな素晴らしい歌詞はないと思う。
国を鼓舞したり賛美する国歌が多い中で、こんな平穏な国歌は何処にもないのではないか。こんな国歌があったっていいじゃないか。

一つ気に入らないところがあるとすれば、ドイツ人の付けたお馴染みの吹奏楽の伴奏である。これはまさしく鹿鳴館の逆のようなセンスだ。どうせなら雅楽のままか、無理なら少しドビュッシーかサティ風に伴奏を換えても良いと思う。古楽器でやると中世風のオルガヌムのような素晴らしい宗教曲になりそうだが、そこまでやると思いっきり国粋の方々からどやされるだろう。国歌を好きな人にも、少しでも伴奏を換えることは許してくれないだろう。この辺の不自由さがつきまとう曲である。

それにしてもである。橋本知事の「君が代」強制はせっかくいくらか芽生え始めた「君が代」の支持をぶち壊してしまうだろう。日教組との衝突が避けられるわけがない。避けられるはずの争いをしない事が「君が代」の本意じゃないのだろうか。
だいたい無理矢理歌えと言うものを好きになれるわけがない。ビートルズの曲が教科書に載り、無理矢理「ほら、もっと声をださんかい!」などと怒鳴られ歌わされたとしたら、ビートルズを今後好きになる可能性のある多くの人を失う事になる。
もっと「君が代」の意味、独自性、芸術性を説く事から始めれば理解の余地があるのに、結局ファッショの象徴の曲にしてしまうのではなんの意味もないと思うのだが。
皆さんはどうお考えですか?

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