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2014/09/01

旅先の友人

僕の旅先で飲み屋でたまたま出逢った知りあいに村井洋児さんという友人がいる。友人と言っても僕より6歳も年上なのだが、どこが気に入ったのか僕をとても大切に、対等に扱ってくれる。少なくとも酒や食の好みが合って楽しくやれるのは確かだ。
村井さんは教師になって、高校野球の監督になって甲子園で優勝する事が夢だった。野球選手ではなく監督になって優勝する事が夢だった。
話を聞くだけでは詳しく解らないが、素早い攻撃と盗塁で掻き回し、どうすれば敵の出鼻を挫くか、どうすれば効率よく得点できるか、そんな孫子の兵法のような策を次々と編み出していったらしい。
村井さんは大学時代にすでにその手腕を買われたのか、すでに卒業を前にして三重高校の監督として就任した。
なんと教師になる前に村井さんは初監督で三重高校をベスト8、選抜では優勝を果たしてしまった。しかもこの優勝の堀越高校(西東京代表)とは12-0で、その後23年間、決勝戦で相手チームを完封しての最多得点差として記録に残るものだったらしい。

小さい頃から夢だった甲子園優勝。それが教師にもならないうちにたった2回で叶えてしまったという、幸福であるはずの村井さんの人生は、すでに野球の監督への興味は失われてしまった。村井さんは一からまた自分の夢を築きあげなければならなかった。思えばそれは叶えそうで叶えられない、再挑戦への調整と修正の楽しい時間、それが一気に失われたのだ。
村井さんは2度と野球の監督をやる事は無く、教師にもならなかった。その後は精密機械を作るための機械を製作する等、緻密な作業を得意とされたようで、恐らく別の場に夢を求められたに違いない。
その後の三重高校は優勝どころか初戦や2回戦敗退が多く、昔の強さは見られなくなっていた。しかし今年はその三重高校が45年の時を超え、決勝まで勝ち進んで来た。
準決勝の時、テレビで村井さんが当時の監督としてインタビューを受けていたらしい。妻の律子がすぐに僕の話していた友人だと気がついた。

Murai_2

残念ながら僅差で優勝は出来なかったが、45年ぶりの強いチームで「今年は打撃力が際立っており、何番からでも点が取れる。」と村井さんは言っていたそうだ。写真は読売新聞のネットニュースからお借りした。
[三重の決勝進出が決まり、喜ぶ村井さん(右)と大野さん(24日、甲子園球場で)=竹田章紘氏撮影]
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20140825-OYTNT50007.html
一面、策士諸葛孔明のようでもあり、夢が一瞬に叶ってしまうと言う最高に幸福であり不幸でもある諸刃の時を持ち合わせた村井さん。住まいである一宮に僕が立ち寄るとき、何を差し置いても駆けつけてくれるのは、なぜか自分が誇らしい気分がする。

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