記憶
人の名前と顔が覚えられない。
ちょっと前に一緒に飲んで意気投合した様な人でも、別なシチュエーションで会うと
「どこかで逢ったような・・・」
と思い出せない。
合宿で3日間も一緒に過ごした子どもも親も、素敵だなと年甲斐もなく恋心が芽生えてしまいそうな美人でも、向こうから声をかけて来ても
「お久しぶりです。」
と言われて、「どうもどうも」と言うだけでその先の言葉が出てこない。数時間たって、「あんなに逢いたがってた人なのに、なんで!?」と悲しくなる。
ひどいときは全く別の人と勘違いして話していて、だんだんと話がかみ合わなくなってくる。それに気がつき出してから違うという確信が起こってくると、後はどう取りつくろうか、とてもスリリングな辻褄合わせの世界となる。
こういう症状が最近起こったかというとそう言うわけではなく、10代の頃からすでにそう言う傾向にあり、緩やかにその度合いを増している。
記憶力が弱いかというと、場合によって誰にも負けない部分があったりする。音楽の形式、曲の和音、人がどんなパートをやっているか、演目の段取り、つまり音楽に関する部分は強い。
あと、一度走った道は結構忘れない。土地勘がよい事もあるが、旅に行って何処で何を食べたかかなり詳しく覚えている。味も良く覚えている方だ。
恐らくそれらは平均点を大きく上回っているだろうに、名前と顔は全くだめだ。
もう一つ障害と言える部分がある。言葉が聞き取れない事だ。
早ければ早いほど聞き取れなくなってしまい、音の響きとしてしか聞こえなくなってしまう。
うちの奥さんの行っている事も70%くらいしか解らず、後は聞き直すか、間違った解釈をするかどちらかである。
人と話していると、会話が弾むとここまで聞き直す事が出来ず、30%も頭に入力できていなかったりする。
いままで僕と話したり、酒を飲んだり、意気投合したと感じたりした人がいると思うが、正直に言おう。多くの場合話を半分しか理解していない。しかも次にあったときにその人が誰かを思い出すのに多くの時間を費やす。
最近同窓会で誰に逢った。息子が何処の大学に行った。猫の何とかちゃんが子どもを産んだ。そんな会話の半分は耳に入っていないのだ。申し訳ないがそんな奴なのである。
名前がちゃんと聞き取れず、名前の聞き違いからとんでもない人と勝手に結びつけてしまう事もある。自分にとってはわずかな手がかりなのだが、それを聞き逃すまいとするため、勝手な解釈を産みとんでもない荒唐無稽な話がでっちあがる。実名を上げて例を出せないのが残念だ。
つまり顔を忘れる、名前を忘れる、言葉が聞けないという、スタンダードな人間の感覚がまったく機能していないのだ。記憶だけの問題なら解りやすいのだが、これは人間として病気の域だと思う。
うちの奥さんや息子は全く正反対だ。名前を間違え無いどころか、飼っている猫や子どもの名前、時には会話に出てきた猫のかかった病院の名前まで思い出す。奥さんは疲れて目をつぶっていても知っている役者ならテレビでしゃべっている声だけでほぼ全て解る。息子も数年前に泊まったホテルの電話番号で覚えていることもある。これはこれで異常な人間である事には違いない。
こんな希薄な記憶の自分でも、自分の曲を作った事は忘れていながら、曲の頭を思い出すと、だいたい正確にどういう音構造か思い出せる。これだけが救いだ。
これが解らなくなったらきっと自分というものが崩壊するかも知れない。はやく介護老人になった方が良いかも知れない。
それを聞いてうちの奥さんが言う。「誰が面倒見るのよ?」
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