2015年のメッセージ
3月11日が近づいたとき、震災関係の様々な放送が色々あったが、原発爆発に伴い自衛隊、
ただ、この時の敵はアメリカやソ連・中国と敵対したわけではない
浅野先生とほぼ時を同じくして、またしても僕の大事な知りあいが現世から旅立って行った。少し前の話だが、10月23日に亡くなられた江波戸昭先生の事である。
僕が江波戸先生の事を知るきっかけとなったのが30年以上前に買った「切手に見る世界の楽器」という本との出合いだった。打弦琴については当時ほとんど資料らしき物がなく、中国製のヤンチンをダルシマーの替わりに使っているような時期だった。先生の魅力溢れるサントゥールの解説に触れ、これはなんとしてでも楽器を手に入れなければならないと思いそれから数年後に意を決して高額なイラン製のサントゥールを手に入れた。
「カテリーナ古楽合奏団」リーダー松本雅隆(がりゅう)さんが、1992年発売のCD「ドゥクチア」のライナーノートを江波戸先生にお願いしたい、と言ったとき、一も二もなく賛成した。その時初めてお逢いしたが、その豊富な知識もさることながら、なんとも音楽の持つ魅力を理詰めではなく感性で感じておられるという印象で、声量豊かで素敵な歌声も披露され、本当に気さくな方だと思った。
僕が先生に最も感謝しなければならないことは、イランのタールを手に入れた合田さんという方から、この楽器を扱える人に譲りたいという申し出があって、先生は(たぶん僕に見せるつもりではなかった)合田さんへの手紙に「楽器はまごうことなき、れっきとしたタールです。楽器は日本に数台という逸品ではないでしょうか。私の友人で何人かこの手のものを扱うのがいますが、まずはロバの音楽座=カテリーナ古楽合奏団の松本雅隆君の仲間で、彼なら立派に演奏に利用してくれることでしょう。私自身も手元に置きたいところです。」と、つまり僕のことを一番に紹介してくれたのです。
確かに日本に中東の弦楽器を扱う人間は何人かいるでしょうが、他ならぬ江波戸先生が私を最初に私を挙げてくれるとは、これほど光栄なことはない。
この楽器を2年ほど弾き慣らし、3年ほど前に江波戸先生の前で披露することが出来た。なかなか難しい楽器でお世辞にも上手くなったとは思えないが、生での音色をお聴かせできただけでも良かった。先生はタールの演奏をとても喜んでいただき、アンコールまで貰った。
この7月にも江波戸先生の講義の中でがりゅうさんと娘の更紗さんと3人で呼ばれて演奏したが、この時胃のほとんどを切り取った江波戸先生の体重は40kg近く落ち、正直逢ったとき江波戸先生とは解らなかった。
この時は題材がブリューゲルだったので時代も音楽も違うのでタールを持って行かなかった。お逢いするのはそれが最後だったので、その事が後からとても悔やまれた。
CD「宙の囁き」の中の「レクイエム」という曲にタールの演奏を入れたので、このCDを江波戸先生に送ったが、程なく悲報を聞いた。希せずして本当にこれが「レクイエム」となってしまった。奥様からも病院のベットでこのCDを聴いていましたとお知らせを頂いた。
今頃は空の上から世界を眺め、様々な土地を旅しながら音楽の鳴り響く楽しい人生を追想しているに違いない。享年80歳。
らくりん座の浅野昤子先生が急性白血病で26日に亡くなられました。享年88歳。
普通なら大往生と言って良い歳かも知れませんが、まだまだ演劇においてやりたいことが山ほどあったに違いありません。娘にまで「ミチル」という名を付けるほど「青い鳥」が好きで、上演を夢見て幾度か企画を立てましたが、荒木昭夫氏作の台本と、上野作の挿入歌を何曲か残して旅立たれてしまいました。
昤子先生は80年以上、演劇の中の世界で「青い鳥」を探していたのでしょう。恐らく「青い鳥」は見つからなかったのでしょう。やがては「未来の国」の子どもたちに混じり「母の愛の歌」に送られて、またこの地球に「青い鳥」を探しに戻ってくるに違いありません。
僕にとって昤子先生の凄いところを一つ挙げると、若干24歳の若き拙を一回逢っただけでらくりん座の音楽家に起用して、それ以降ほぼ全ての音楽を任せてしまったことです。僕などはまだ世間的に見れば大物ではありませんが、脚本から演出家、舞台、振付と本当に一流の、しかもこの那須野の地に逢った人を引っ張り込んでくるのです。若い団員たちにとって最高の環境を常に保ち続けたのです。
らくりん座にお線香をあげた翌日、現在小学校巡回中の「おこんじょうるり」(さねとうあきら作)を観に行きました。
なんとも感動しました。色んな事があったからかも知れませんが、生きものに対する愛情、心のふれあい、そういった要素が良く伝わるあたたかい舞台でした。三味線もなかなか様になってきました。音楽は変えた方が良いかなと言う部分が幾つかありました(反省!!)。
ここの学校は200人ちょっと。前回見たときは100人に満たない小学校でも、団員8名くらいで毎回3~4時間仕込にかけ、徹底した照明・音響・舞台装置を組み、1時間の公演の後、2時間のバラシがあり、生徒たちの送り出しの最後まで気を抜かない徹底した心意気があります。
50名の公演でもこの姿勢は変わりません。一般的に考えればリスクが大きすぎると思うでしょう。
この精神は昤子先生がいらしたからこそ受け継がれてきた者だと思っています。らくりん座は「日本教育演劇道場」という結構硬いイメージの正式名称がありますが、教育と言っても「教科書」的に叩き込むのではなく、演劇を通じて人に対する思いやりや真心を、そして自分の体験し得ない世界を自然に学んでいくという意味が込められていると思います。
浅野昤子先生の告別式の詳細です
通夜 11/3(祝) 午後7時~
葬儀告別式 11/4(日) 正午~
会場 セレモニーホールとちのき会館(那須塩原市下永田1-983)
0287-39-1155
喪主 古賀みちる
共催(財)日本教育演劇道場・劇団らくりん座
人間はそれぞれの顔が違うように価値観が違い、美意識が違い、趣味が違う。
大事なものも違えば、正しいと思う事も、悪と思う事もそれぞれ違う。
いろんななにかが居るのが人間界で、生物界で、宇宙であり、全てである。
特に人間は地球の中では生物の中の最大の勢力となっている。
ものを作る事の出来る人間は、その思考が別々のの個性を生む事になる。
その一人一人の考え方は一様ではなく、それぞれが違っていてそれは良い。
それでも人間はすでに集団で生きるように出来ている。
トラブルが起きれば助け合ったり、周辺が協力して暮らしを楽にし、生きる上での楽しみをもたらす。
問題は、誰かが良かれと思ってやる事は、別の誰かにとって耐えられない事がある。
価値観が違い、美意識が違い、趣味が違うことは、自分と同じ人間と思えない場合がある。
ある時、部族の長が全体をとり仕切り、全ての行動を束縛したり規制したりするようになった。
様々な個人の意見よりも部族全体としての利益を大事にするようになる。
長になる方が自分の考えで他を服従させる事が可能となり、長になるために力を競う事となる。
やがていくつかの部族をまとめた中での長が暴力で決まり、国が出来る。
別の国をまるごと征服すれば、奴隷や束縛が可能となり、別の人間の思考や行動の自由を奪っていく。
力のあるものの価値観や美意識がその世界を覆い尽くし、ひとつに纏まってしまう事がある。
強大な暴力があれば、その他の価値観を持つものは粛正してしまえば良いからだ。
スターリン、ヒトラー、毛沢東、ポルポトなどを思い出せばよい。
それで争いがなくなるだろうが、人としての個性は一部の者しか生かされない。
下の者は生き甲斐はなく、上に立つ者は常に下からの脅威に怯える。
人間はもっと知恵を使えば争わなくなる。
女を取り合う以上の争いがなければ、多くの人は結構幸せな生活を送る事が出来る。
その知恵は宗教的なものでも良いのだが、特定の宗教では結局価値観が違い、美意識が違う。
それはちょっとした我慢と見識によって可能になる。
それは山のようにどんと構え、川の流れのように身を任せ、全てを受け入れられる心だ。
僕だって嫌いなものがいっぱいある。暴力団だって、オームのような狂信宗教だってあまり交わりたくない。
しかし、それらをわずかでも受け入れる心がなければ、結局は強制的に排除するか、争うかしかない。
我々は昨年、とても哲学的に、宗教的にも大きな経験をした。
昨年の津波での被災地のように、全てが壊れてしまえば否が応でもひとところに身ひとつで非難しなければならない。
そのときはあなたはヤクザだから、泥棒だから、原発推進派だから、金正日だから、と差別する事は出来ない。全てを受け入れなければならない。
我々はあの教訓からその環境をイメージ出来る。少しの我慢で大きな心を得る事が出来る事を。
あとはどう共存するか、知恵と難しさを伴うだろうが、争ったり殺し合ったりする事とその遺恨による後始末よりは大変な事ではないだろう。
こんな感覚を神も教団も持たない教義または哲学として人の心に宿れば、多くの人にいくらか幸せな生活がやって来るのではないかと思うのだが・・・どうだろうか?
もともと一般的な人間は 争って生きようとはしてなかった。争いでのメリットはなく、食料の確保と異性の奪い合い以外は、ただ自分の生命を脅かすにしか過ぎない。
人間が組織化していくとその組織の利益を効率化する為に他の民族や組織の自由を奪い、略奪したり奴隷化したり、ゆくゆく復讐の連鎖を生む要素となる。
中世以前のヨーロッパ になぜキリスト教のような啓示宗教(あれをしてはダメ、これをしてもダメと言う規律の厳しい宗教)が必要だったと言えば、民族移動に端を発する秩序のない略奪、乱交、惨憺たる秩序の乱れを「最後の審判」によって押さえ込まなければならなかった。
あえて言うなら、もしキリスト教がなければ、ヨーロッパは野蛮人の集団だったに違いない。
それでもヨーロッパはアメリカ大陸の自由を奪い、あるいは滅ぼし、アフリカ民族を奴隷化し、現代に置き換えれば信じられないような非人道的行動をとってきた。
こんなことはご先祖の所業に過ぎないのだが、アメリカのイラク、アフガン、イランなどに対する態度を観ているとあながち無関係とは言えない。中東の人たちがどんな風に考えているのか、日本人はちゃんと考えた事があるのか?
結局、力さえあれば何だって思い通りになると思っているらしい。
本来、組織の利益が自分たちの利益になると思って、国の動きに従って戦争まで起こすとこも厭わないわけだが、それはちょうど豊かになるためふんだんに電気を使いたいために原発を利用して、事故が起きたら豊かになるどころか最初の状態にすら戻れない最悪の事態に成るのと代わらない。
利権を求めすぎたために、自らテロの脅威を招き、それに対する膨大な出費を払ったわけだから。
つまり、争いに手を染めない事が、最大の利益と豊かさをもたらす事と成る。
それが判っていて争いに持って行くのは、よほどのプライドや欲望が底にあるからか。でもその利益の恩恵にあずかれるのはほんの一部の人たちにしか過ぎないのだが。
今年のうちの年賀状です
皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。
本当はこういうものに説明不要なのですが、パロディという事自体、元ネタが判っていないと独りよがりで終わってしまうので、あえて説明を入れます。
元ネタはStanley Kubrick firms と冒頭であるようにスタンリー・キューブリックの1968年の映画「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」と いう、言うまでもなくSF映画の最高峰の作品です。
神の域まで進化した宇宙人が100万年前に地球にやってきて、黒石板(モノリス)により猿に刺激を与え、それが道具を使う事に始まり、宇宙旅行をする人間にまで進化させ、結果として木星空間に置いてきたモノリスにたどり着かせ、そこから何万光年もワープさせ自分らの世界に招くという、宇宙人からしてみれば花に養分を与え大きくなるのを楽しむような、全く次元の異なった知的な遊びの中で人間が生かされていたという…まあそんな映画です。
ここには宇宙人は神に等しく、形として一切描かれていません。おそらくとことんまで進化した意識だけの存在になっているのでしょう。
中央の宇宙船は映画の最後のワープで乗っていた子機というか探査機で、観た事もないような光のアートが展開されます。その一部の絵がこの年賀の背景に使われています。ま、後は実際に観て下さい。
モノリスをiPhoneに換えてしまったのは意味はなく、単なるユーモアだと思って下さい。これによって真面目な切なる願いの腰を折ってしまった事にならねば良いなと思ってますが。
これの動画版があります。
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